【男はつらいよ】シリーズにて演じた、寅さんの印象を壊さないために個人的な素性を明かすことが少なかった渥美清(アツミ キヨシ)さん。
今回は、今まで表沙汰にならなかったご家族のことに関してお話します。 “寅さん”の愛称で親しまれる渥美清さんは、1928年に東京都で生まれました。 目次 素性を明かそうとしなかった渥美清、家族構成はいったい?
渥美清さんの代表作品といえば、なんといっても【男はつらいよ】シリーズでの車寅次郎役です。 寅さんは義理人情に厚い、昔の気質を体現したキャラクター。 その姿を見て、気持ちを揺り動かされた人はたくさんいたのではないでしょうか。 そんな寅さんを演じていた渥美清さんですが、実生活においてはあまり積極的に人と関わる性格ではなかったというのです。 映画のロケ地となった箇所で有志の方々が打ち上げを企画してくれたときも、渥美清さんは参加することがありませんでした。 ファンの方たちが近寄ることすら許されてなかったといいます。 そして、男はつらいよシリーズの監督を務めた山田洋次さんでさえ、渥美清さんの連絡先を知らなかったそうです。 これが事実ならば意外過ぎるともいえる話です。 渥美清さんがここまでプライベートとの線引きをすることにはワケがありました。 それは、彼が演じた役柄“車寅次郎”の印象を自分の立ち振る舞いによって変えたくないという強い思いでした。 プライベートで街を歩いていてもファンの方から芸名ではなく“寅さんだ!”と声をかけられることの方が多い渥美清さん。 これが、渥美清さんが印象を崩したくないと強く思う所以なのかもしれませんね。 寅さんこと渥美清が結婚した嫁は?どんな女性?
映画【男はつらいよ】の寅さんとしては、生涯独身で過ごしていた渥美清さん。 ですが、実際は結婚をされお子さんもいらっしゃいます。 1969年に島根県の出雲大社で結婚式をし、数日後には東京で結婚披露宴をおこないました。 渥美清さんが奥様として選んだのは、竹中正子さんです。 当時41歳で少し遅めのゴールインをした渥美清さんでしたが、なんと奥様は当時24歳!! なんともびっくり、17歳も離れた夫婦が誕生したのです。 結婚前には家族ぐるみで仲良くしていたので、年の差婚にもさほど批判等はなかったようです。 しかし、2人が出会ったとき竹中正子さんはまだ中学3年生でした。 芸能人の挙式といえば、盛大でテレビカメラが多数入っている、そんなイメージがありませんか? それとは打って変わって、渥美清さんらの挙式はたいへん小規模なものでした。 互いの親族と、少数の友人のみを招いて開宴したそうです。 芸能記者を務める鬼沢慶一さんは渥美清さんの友人として参列した一人ですが、当時は挙式に関する写真を世間に公開しませんでした。 渥美清さんが亡くなってはじめて見せたのだそうです。 おそらく渥美清さんは、鬼沢慶一さんならば安易に挙式の写真を公開しない、記事を書かないと信頼していたのでしょう。 竹中正子さんは一般人だったため、そちらへカメラが向かないために、という渥美清さんなりの考えがあったのかもしれませんね。 家族を護ろうとする渥美清さんの強い気持ちが伝わってくるエピソードでした。 渥美清の息子はどんな職業?
渥美清さんには、2人のお子さんがいます。 息子の田所健太郎さんと、娘の田所幸恵さんです。 田所幸恵さんに関しては、様々な情報がありますがはっきりとは確認できず一般人であると考えられます。 そして息子の田所健太郎さんは、最終学歴は立教大学、その後ニッポン放送へ就職したとされています。 この話だけを聞くと田所健太郎さんは親のコネで入社したのかと思われがちですが、それは大きな間違いです。 田所健太郎さんは、履歴書の家族欄に“渥美清”の名前を書いたことはなかったといいます。 “父:田所康雄 職業:俳優”と本名で記載したようで、まさか誰も渥美清さんであるとは気づかなかったそうです。 しかし、入社式には新入社員の親を一緒に参加させるのがニッポン放送の古きならわし。 そこにいきなり渥美清さんが現れ、関係者らはおおさわぎしたそうでした。 田所健太郎さんは、その後人事異動をきっかけにニッポン放送を退社。 フリーのディレクターとなり、アニメ関連の番組を中心に活躍されているようです。 渥美清の私生活はどんな感じ?DVの噂は本当?
ベールに包まれた渥美清さんのプライベートですが、結婚をしたあとも豪勢な暮らしは好まず車すら持たない生活を送ったそうです。 そして原宿に家とは別のアパートを勉強部屋として借り上げ、そこで一人きりになりこもっていることもよくありました。 おおっぴらに公開されることのなかった渥美清さんの私生活でしたが、亡くなってから初めてわかることもありました。 その一つとして、DV説が挙げられます。 これは渥美清さんの七回忌の前に、田所健太郎さんが公開した情報です。 渥美清さんは田所健太郎さんの食事マナーに口うるさく、おかしなことをすればいきなり起こり、激しく暴力をふるったといいます。 そのほか日頃から暴力的な一面があったというので、仕事でたまった鬱憤を家で晴らしていたのかもしれませんね。 昔はあるあるだったエピソードかもしれませんが、過去の話であっても今聞いただけでうっ・・・となってしまうほどの重い話です。 息子さんの暴露なので、きっとでまかせではないでしょう。 しかしながら、渥美清さんが国民栄誉賞を受賞した時には田所健太郎さんが故・渥美清さんの代わりに出席していました。 当時は暴力をふるう父親が憎かったかもしれませんが、やはり尊敬できる父であることに変わりはなかったのかもしれません。 |