錦織一清のダンスが凄い?!運動神経抜群で超かっこいい!

少年隊リーダーであり、今は役者や舞台の演出家で活躍をされている錦織一清さん。

ジャニーズ史上一番と呼ばれるダンスの腕前の周囲から反応はどのようなものだったのでしょうか。

もともとの運動神経も抜群のようで、学生時代からかっこいいと話題だった錦織さんのプロフィールや運動能力についてご紹介します。

目次

錦織一清のプロフィール

https://twitter.com/alice_shonentai/status/1362358734706548745

1965年5月22日生まれの錦織一清さん。

身長172cmの高身長でファンからは「ニッキ」メンバーからは「ニシキ」の愛称で親しまれています。

錦織一清さんは1977年7月から2020年12月31日までジャニーズ事務所に所属していました。

この所属期間はジャニーズ内で最長とされています。

男性アイドルグループ「ジャニーズ少年隊」を経て植草克秀さん、東山紀之さんと構成される「少年隊」にて活動しました。

この少年隊のリーダーは東山さんだと勘違いされる方がいらっしゃいますが、リーダーは錦織さんです。

東山さんはバラエティ番組「少年隊夢」の番組内だけのリーダーでした。

ジャニーズ内では39年という最長の活動歴を持つ少年隊は錦織さんと植草さんがジャニーズ事務所を退所したことによって事実上の活動休止をしました。

ジャニーズ事務所を退所する際コメントにて「最後のワガママのつもりで、この年になって本当の意味のひとり暮らしをしたいという希望を伝えたところ、快く承諾していただけた。恵まれすぎていた環境を飛び出し、これから私は沢山の厳しさを味わっていかなければなりません。それをこれまでのジャニーズ事務所の教えで、はねのけていこうと思います」と語っていた錦織さん。

ジャニーズ事務所を退所してしまうことは悲しいことですが、今後一人で立派に活動する彼を見るのは楽しみでもあります。

錦織一清さんのダンスのすごさ

少年隊としての活動当初から彼らの歌・ダンスの評価はかなりのものとなっていました。

当時、若さやカッコよさを前面に出して歌やダンスは二の次であったアイドルたちの中で、彼らはきちんとしたレッスンを積んでから活動を開始したため、そのレベルの差は歴然でした。

彼らは「日本発、世界行」をキャッチフレーズにデビューさせたこともあり、世界を意識したレベルに仕上がっていたのです。

ブロードウェイでミュージカルを観賞させたり、海外でダンスのレッスンを受けさせたりと様々な経験を積ませてからの堂々デビューでした。

そのため、歌やダンスの完成度の高い彼らよりもとっつきやすい「光GENJI」の方に人気がとられてしまった感が否めませんが、少年隊はジャニー喜多川さんの最高傑作と呼ばれるグループだったのです。

ジャニーさんの期待に応えるように彼らは一切の妥協をせずに日々レッスンをこなし、ジャニーさんの鶴の一声で変更された振付も必ず仕上げなおすなど努力をしていました。

デビューしてからも本場のエンターテイメントやダンス技術を磨くために3か月に一度は海外で武者修行をしていたほど向上心も高かった彼らはアメリカで振付師マイケル・ピータースさんによる1日8時間の地獄のレッスンも受けたことがあるそうです。

ピータースさんはマイケル・ジャクソンさんの「スリラー」の振り付けで有名な振付師で、そんな天才人の下でダンスのレッスンをしていた彼らのダンス力が高いということは納得です。

そんな完成度の高い少年隊の中で一番ダンスの実力があったのは錦織さんだと言われています。

ジャニーズの中でダンスが上手なメンバーといえば東山さんが有名ですが、その東山さんも認めるほどの天才っぷりであったと言います。

錦織さんのダンスは軸がしっかりとしており次元が違うとファンたちの間でも有名で、多彩なアクロバティックと繊細で柔軟な動きは見る人すべてを虜にし、彼らを目指してジャニーズ事務所へ入所する少年たちも後を絶たなかったそうです。

錦織一清さんは運動神経抜群!

https://twitter.com/nishikiorhythm/status/1362716279275065345

錦織さんはジャニーズ時代高校受験の為レッスンを一年休業しています。

その理由は「体育の先生になりたかったから」です。

実は生まれたころから病弱で子供の頃よく寝込んでいた錦織さんでしたが、その反面人並みはずれた運動神経をはじめ、ダンス、芝居、歌、美術系など多彩な才能を持っていました。

錦織という、なんでもできるすごいやつがいるらしい」と子供時代から周囲の注目を集めていた錦織さんでしたが、あまり芸能人に対してあこがれがなく、幼いころから夢であった体育の先生になるために学業に専念をしたそうです。

しかし、受験勉強中に矢沢永吉さんの歌を聞いたことがきっかけで「こういう歌だったら男が歌ってもおかしくない」「俺もサクセスしたい!」と本気でスターの道を目指したそうです。

ちなみに「少年隊」のデビュー曲「仮面舞踏会」の作詞を担当したちあき哲也さんは矢沢永吉さんの楽曲の作曲を多く手掛けており、この起用は錦織さんの強い要望があったからだそうです。

錦織一清さんは学生の頃からかっこいいと話題に!

錦織さんは小学校5年生の時にお姉さんが勝手に履歴書をジャニーズ事務所に送ったことがきっかけでデビューしています。

すでに小学校時代からカッコよさを発揮していた錦織さんにはファンも多く、当時学校中の女子たちが錦織さんの虜になっていたそうです。

そのモテ加減は中学になっても続き、中学卒業の際は制服のボタンがすべてなくなってしまうほどだったとか。

全盛期の頃の錦織さんのことはジャニーズ事務所では伝説化されており、右に出る者はいないと言われているほどですが、現在は独身生活を満喫されています。

ジャニーズ事務所を退所したこともあるので今後のことは気になります。

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