「モアイキャラ」として人気のある名脇役俳優の斎藤洋介さんは、数多くのドラマや映画に引っ張りだこで、幅広い役柄を演じ分けられる方です。
バラエティ番組にも多数出演しているため、幅広い年代に知られている俳優です。
目次
斎藤洋介さんのプロフィール
本名:斉藤洋介
生年月日:1951年7月11日
身長:170cm
血液型:A型
出身地:愛知県名古屋市
最終学歴:明治大学
所属事務所:アクトレインクラブ所属
大学生の時は演劇部に所属し、舞台美術を手掛けていました。ある舞台で代役を演じたことから演じる楽しさを知り、俳優を目指すようになったそうです。
斎藤洋介さんの家族
斎藤洋介さんの奥さんは元女優だと言われています。お子さんは、息子二人です。
斎藤洋介さんは、三宅裕司さんが1979年に立ち上げた劇団「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」の創立メンバーです。
通称「劇団SET」には、小倉久寛さんや寺脇康文さんなどが在籍していました。
このころに斎藤洋介さんは結婚したので、お金もなく、仕事もなかったそうです。
その為、奥さんがパートをして家計を支えていたそうです。奥さんは結婚式の司会の経験があるそうなので、しっかりしたイメージがあります。
「ようちゃん」「まきちゃん」と呼び合う仲が良い夫婦と言われているようです。
息子の斉藤悠さんは、目鼻立ちがはっきりしたイケメンなので、奥さんは相当美人だと思います。
斎藤洋介さんは、ドラマ『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』で、生徒の誠(堂本剛さん)を執拗にいじめる教師役を演じていました。
『家なき子』でも悪役を演じ、強烈なインパクトを残しています。
その為、斎藤洋介さんは二人の息子に「こういうことは絶対にやってはいけない」と教育し、育てていたそうです。
そして、次男の斉藤悠さんが17歳の時、芸能界デビューを果たします。
父である斎藤洋介さんと同じ事務所に所属しています。
当初はモデルとして活動していましたが、俳優としての道にも進みます。
2008年にドイツ映画『赤い点/The Red Spot』でモントリオール世界映画祭に参加し、注目を浴びます。そして、映画や舞台などに活躍の場を広げています。
斉藤悠さんのプロフィール
本名:同じ
生年月日:1984年7月20日
身長:177cm
体重:63kg
出身地:千葉県松戸市
事務所 アクトレインクラブ
趣味:ラグビー、サッカー
斉藤悠さんは、友人の紹介をきっかけに知り合った2歳年上のダンサーと2008年12月25日に入籍しています。
そして、2009年3月18日に長男が誕生しました。
斉藤悠さんのこれからの活躍に期待したいですね。
斎藤洋介さんのエピソード
斎藤洋介さんは、近年俳優だけではなく、バラエティ番組でも活躍の場を広げていました。
強面で悪役を演じる反面、バラエティ番組で見る斎藤洋介さんは、優しい笑顔で人柄も良く、弄られてもにこにこ対応しています。
斎藤洋介さんは、優しくて真面目な性格の為、オレオレ詐欺にも引っかかった経験があるそうです。
1度目は、長男を語って電話があったようです。
すぐに息子に連絡できた為、振り込まずに済んだようですが、次男を語って電話がかかってきた2度目は、100万円を渡してしまったようです。
2011年に出演したバラエティ番組で、斎藤洋介さんの滑舌の悪さが話題になりました。
その為、斎藤洋介さんが病気や入れ歯という噂が流れました。
斎藤洋介さんは、極度のあがり症のようで、緊張を紛らわせる為にお酒の力を頼ることもあるみたいです。
独特な話し方が特徴的な斎藤洋介さんは、一時期自身の滑舌の悪さに悩んだ時期もあったようです。
ですが、その悩みも存在感を増すことで、吹っ切る様になったそうです。
関西ローカルですが、上沼恵美子さんが司会するバラエティ番組に斎藤洋介さんも準レギュラーで出演していました。
他の出演者は井上公造さんといった有名な芸能レポーターの方々です。
上沼恵美子さんに話をふられ、たじたじになった素の斎藤洋介さんの姿が、お茶の間の笑いを誘いました。
斎藤洋介さんが親しみやすいキャラで皆さんに好かれているのが良くわかる番組でした。
因みに同番組で、斉藤悠さんも出演し、結婚報告をしていました。
他にも『笑っていいとも!』『SMAP×SMAP』などの全国区のバラエティ番組にも出演しています。
タモリさんが「モアイ像に似ているね」と言ったことから、モアイキャラが確立していったようです。
2013年に、イースター島のモアイ像で有名なチリをPRする観光親善大使に選ばれています。
会見で「タモリさんに感謝しています」と斎藤洋介さんはコメントしています。
斎藤洋介さんの現在
斎藤洋介さんは、2020年7月に咽頭がんの手術をし、治療を続けていました。
次の年には俳優として復帰する予定でしたが、2020年9月19日に自宅から救急搬送され、東京都内の病院で亡くなりました。
まだ若い69歳でした。映画『狂武蔵』が遺作となりました。
斎藤洋介さんのご冥福をお祈りいたします。