俳優の黒沢年雄(くろさわ としお)さん、誰もがご存知の大御所俳優ですよね。
それにも関わらず偉ぶった態度が全くないんだそうですよ!
そして現在も、歌手業やバラエティーなど様々な場で活躍されていていますが、きっと黒沢さんの人間性によるところも多いかもしれませんね。
目次
黒沢年雄さんの家族構成ってどうなっている??
低くてとっても渋い声の持ち主の黒沢年雄さん。
そのダンディーな声を生かして、俳優だけに留まらず歌手としても活躍されていましたね!
もしかしたら若い世代のみなさんには、バラエティーで活躍されているイメージが大きいかもしれないですね!(^^)!
そんな黒沢さん、過去には色々な職業も経験されていたようです!
高校を卒業後は、工場作業員や訪問販売、運転手などの職業に就きながら、下積みを積んでいたそうです。
そしてやっと念願の夢がかなったのが1964年のこと、第4期の東宝ニューフェイスとして芸能界入りしました。
その面接のときの黒沢さん、なんとわざと遅刻をし『合格させないと映画界の損失になる』と話したそうなんです!
遅刻した上にこの発言(;’∀’)
ものすごいインパクトに、かなりの度胸の持ち主ですね~。
普通だったら遅刻するだけで諦めてしまうところですが…もしかしたらこの時代は【ちょっとくらい生意気】な人のほうが可愛がられていたのかもしれませんね。
ですが…黒沢さんならこんな事をしなくても、ちゃんと合格できていたはずですよね!!
そして黒沢さん、なぜ俳優を目指したのかというと『お金持ちになりたいから』だそうです(笑)
余計な事を言わずに素直な黒沢さん、好感が持てますよね。
名監督として知られる岡本喜八さんや福田純さんに気に入られた黒沢さんは、人気俳優として活躍していきます。
ドラマ『ザ・ハングマン』への出演がきっかけとなり、その名は誰もが知ることとなります。
また歌手業でも活躍する黒沢さん。
代表作の「時には娼婦のように」は70万枚の大ヒットを記録し、こちらでも成功されています!
私生活では、1976年に街田リーヌさんとご結婚されていますね。
街田リーヌさんは、、ピエール・カルダンの専属モデルやパリのショーに出演するほど当時一流モデルだったんだとか!
お二人の出会いのきっかけは残念ながらわかりませんでしたが、黒沢さんが猛アタックして距離が近づいて行ったようです(^’^)
翌年の1977年にはお子様も生まています。
お嬢様の黒沢レイラさんは『三井万裕美』という名前で芸能活動をしていたこともありました。
父があの黒沢年雄さんですから…やはり【2世タレント】として見られることも多かったそうで、25歳の頃にはアメリカへ渡っています。
渡米後は、アメリカの男性とご結婚されお子様も誕生しているようです。
現在は不動産会社で【不動産コンサルタント】をされています。
アメリカ最大手の会社なんだそうですよ!
お孫さんと一緒に過ごす黒沢さん、なんだか想像できちゃいますね(^^♪
きっと可愛くて仕方ないんでしょうね!!
黒沢年雄さん、ご兄弟も芸能人って本当!?
黒沢さんは、男4人兄弟の長男なんだそうです。
俳優を目指すきっかけが『お金持ちになりたい』というのは、長男という立場や黒沢さんの責任感などもあっての事なんでしょうね。
東宝に入ってからは、【黒沢年雄】という名前を不動のものにした黒沢さんですが、なんと弟さんのお一人もとっても有名な方だったんです!
それは歌手の黒沢博さんです。
【ヒロシ&キーボー】というグループで知られていて、代表曲には【3年目の浮気】がありますね。
黒沢博さんは黒沢家の3男です。
あのエルビス・プレスリーに憧れ、歌手になると決意したのは11歳の頃。
なんと1966年、当時17歳だった黒沢博さんですが【寺内タケシとバニーズ】のボーカル兼ギターとしてデビューとしてデビューしてしまったのです!
黒沢さん兄弟…本当に凄いですよね(;’∀’)
その後は、前にもお話した【ヒロシ&キーボー】として1982年にデビュー。
大ヒットした【3年目の浮気】は、そのコミカルな内容も話題を集め、売り上げは130万枚を記録し3週連続オリコン1位を獲得しました!
日本有線大賞や全日本有線大賞などで賞を受賞したのは言うまでのなく、一気にスターへの階段を駆け上がりました。
一つ残念なのは…歌詞の内容が浮気をテーマにしたものだった為、紅白への出場はできませんでした。
この【3年目の浮気】には、こんなエピソードも。
実はこの楽曲、始めはお兄様の黒沢年雄さんにお話があったそうなんです。
が、『自分のイメージには合わない』ということで断ったそうで…。
そんな中声がかかったのが、当時音楽活動をしていた黒沢博さんだったのです。
この楽曲が、こんな偶然が重なって生まれたものだったとは…知りませんでしたね~。
黒沢年雄さんは何度も癌から生還している!!
現在、昔に比べると格段と医療が進歩し不治の病ではなくなってきた【癌】
それでも、死因の理由の上位としてあげられるのも事実です。
黒沢年雄さんも、癌を患い戦ってきた一人なのです。
黒沢さんの場合は、1回だけではなく計4回と非常にこの病気との付き合いも長いのです。
始めて発症したのは、1992年のこと、大腸癌でした。
その後、2008年には膀胱癌、2013年には食道癌、胃癌を発症しているのです。
癌の手術としては、なんと計8回もの手術を受けています。
黒沢さん自身、高校1年生の時にお母様を癌で亡くされているとのことで、この事から遺伝的な要因も大きいのかもしれません。
全部で8回もの手術を受けた黒沢さんですが、不幸中の幸いと言いますか、【転移】は見られませんでした。
さらには、抗がん剤の治療もしたことがないそうですよ。
『医師を信じること』これは、幾度となく癌との戦いに勝ってきた黒沢さんの癌治療についての最善の方法。
黒沢さんだからこそ、言葉に説得力がありますね。
良くも悪くもネットの普及などで、【癌】に関する情報も増えてきている中、間違った情報もあったりします。
そんな現代でも、そういった情報は鵜呑みにせず、医師を信じ、信頼関係を築くことを心掛けているんだそうです。
【餅は餅屋】などという言葉がありますが、その言葉のとおり、専門家やその道のプロに任せるのが一番の方法という事ですね!
信頼関係を築けるかどうか、それを見極めて、黒沢さんは医師を信頼できるかどうかを見極めているのかもしれないですね。
黒沢年雄さん、安倍晋三さんを絶賛した??
前首相の安倍晋三さん、2019年11月20日に憲政史上最長在任の首相となり話題になっていましたね。
第一次政権の際は、安倍さんの体調不良のため約1年で政権交代となりましたので、2度目の当選時は不安な声も聞こえてきていました。
そんな安倍さんですが、今驚くほどの活躍を見せ、そんな心配の声はなかったかのような勢いをもっています。
様々な意見はあるようですが、【長期政権】を持続している政治力・求心力は誰にも止められない勢いがあります。
そんな安倍さんを評価している黒沢さん。
自信のブログでは、安倍さんの行動力や強い精神力、そして首相としての度胸や立ち振る舞いを絶賛していました。
また『次の総理は大変』という発言もありましたので、いかに安倍さんの事を素晴らしいと思っているかがわかりますね。
他にも俳優の佐藤浩市さんが首相や役を演じた、映画【空母いぶき】のエピソードでは、『ストレスに弱くお腹を下しやすい設定にしてもらった』と話していたこともあり、安倍首相を思い浮かばせる設定だと話題を呼びました(;’∀’)
この際も。、黒沢さんは安倍さんを絶賛しており、佐藤浩市さんに対しても『まだ若い部分があった、許してあげて欲しい』とフォローする言葉がありました。
これらの話を聞くだけでも、黒沢さんがどれだけ安倍さんを素晴らしいと思っているかがわかりますよね~。
それに加えて、後輩思いな大きな人柄を感じることができますね。
黒沢年雄さん、現在はどんな生活をしているの?
現在は、一時期の露出に比べると目にすることが減ってきた黒沢さん。
今どのような生活をしているのでしょうか?
年齢的にも、体調など心配になってしまいますよね。
ですがご安心ください!!現在は歌手として日本全国を回りコンサートや講演に力を入れているんだそうですよ。
ですからテレビでお見掛けすることはあまりありませんが、俳優・歌手として今も現役で活動していらっしゃいます!
黒沢さんご自身『充実した仕事とほどほどの収入で丁度良い』とお話しされていて、お仕事をしながら、テニスやゴルフ、愛犬とのお散歩を楽しむ時間も増えているようです(^’^)
お嬢様も独立、ご結婚されていますから、昔のようにガムシャラに働く必要もなさそうですもんね。
もちろん健康面でも、定期的に生態やマッサージに通うなど気を使われているようです。
これまでに日本の芸能界に大きな影響を与えてきた黒沢年雄さん。
これからも自分の時間を大切にしつつ、俳優業に歌手業に活躍していってほしいですね!!