俳優の三田村邦彦(みたむらくにひこ)さんには、元妻で女優・中山麻理さんとの間に息子が3人います。
芸能人を両親に持つ息子さんたちは、いったいどんな方なのでしょうか?
目次
三田村邦彦の息子はジャニーズ?
三田村邦彦さんは、1980年にご結婚されました。
お相手は、三田村さんのデビュー作となった映画「限りなく透明に近いブルー」で共演した女優の中山麻理さん。
2人の間には、3人の男の子が産まれました。
俳優としての仕事も順調で、順風満帆な人生を歩んでいると思われていた三田村さんですが、1999年に離婚しています。
結婚から19年目のことでした。
子どもたちの親権は、長男と次男については三田村邦彦さん、三男については中山麻理さんが持つことになりました。
中山麻理さんは結婚を機に芸能界を引退していたので、当時まだ小さかったであろう三男をのぞいては、経済力のある三田村さんが親権を持つことになったのかもしれませんね。
中山麻理さんに引き取られた三男は中山麻聖さんという方なのですが、ジャニーズ事務所に所属しているという噂があります。
しかし、その噂は事実ではありません。
ただ、俳優として芸能活動は行っています。
ジャニーズだと噂されたのは、かつて「Pure BOYS」という俳優で結成されたユニットに参加し、歌手として活動していたからでしょう。
俳優同士でユニットを組んで歌手活動をすることは珍しいですし、中山麻聖さんはジャニーズと言われても何ら不思議ではないくらいのイケメンです。
勘違いをしてしまう人が多いのもうなずけますよね。
母親の中山麻理さんに引き取られた中山麻聖さんですが、父親である三田村邦彦さんとの関係は悪くないようです。
中山麻聖さん主演の映画「アノソラノアオ」では、三田村邦彦さんと共演していました。
また三田村邦彦さんの誕生日に、中山麻聖さんがTwitterでお祝いのメッセージを送っていました。
離れて暮らしていても、仲が良いのでしょうね。
両親と同じ職業だと比べられることも多いかと思いますが、そんなプレッシャーをものともせず活躍する中山麻聖さん。
今後の活躍が楽しみです。
長男も俳優として活動していた
三田村邦彦さんの三男・中山麻聖さんは俳優であるとお話ししましたが、実は長男の三田村瞬さんも俳優として活動していました。
三田村瞬さんは元々パン職人になりたかったようなのですが、弟である中山麻聖さんの影響もあったのか、俳優を目指すように。
2年間演技の勉強を行った三田村瞬さんは、2005年のドラマ「H2〜君といた日々」で俳優としてデビューしました。
その後何本かドラマ、舞台、バラエティ番組に出演した三田村瞬さんですが、最近は見かけることがなくなってしまいました。
すると2008年、三田村邦彦さんがインタビューで「長男はパン職人見習い」と話していたのです。
どうりで見かけないわけですね。
俳優として活動してみて、向いていないと感じたのかもしれませんし、自分が本当にやりたいことは俳優ではないと気づいたのかもしれません。
夢だったパン職人をあきらめきれなかったのかもしれませんね。
しかし、俳優になるために一生懸命努力したこと、俳優として頑張ったことは、いい経験になったのではないでしょうか。
三田村邦彦の次男はカメラマン
三田村邦彦さんの長男と三男は芸能界に進みましたが、次男は芸能人ではなく、カメラマンの仕事をしています。
三田村邦彦さんが再婚した2010年に、次男がカメラマンのアシスタントをしているという報道がありました。
一般の方なので詳しい情報はありませんが、三田村邦彦さんの写真を撮る日が来る可能性もありますよね。
息子が撮る写真には、わたしたち視聴者が見ている俳優・三田村邦彦さんの顔とは違う、父親の顔が映るのかもしれません。
次男が三田村邦彦さんの写真を撮ることがあったら、ぜひ見てみたいですね。
三田村邦彦の経歴
俳優として数々の映画やドラマで活躍してきた三田村邦彦さん。
「必殺シリーズ」や「太陽にほえろ!」などの話題作に出演し、整った顔立ちということもあって、その人気はまるでアイドルのようでした。
三田村さんの人気ぶりがうかがえるエピソードはいくつかありますが、その1つが必殺シリーズの「新・必殺仕事人」に出演したときのことでした。
当初、三田村邦彦さんが演じる飾り職人の秀は、最終回で壮絶な死を遂げる予定でした。
しかし、視聴者から秀を死なせないでほしいとの声が殺到したのです。
そのため脚本が変更され、秀は死ぬことなく必殺シリーズに出演し続けました。
ただそれによって、同時期に出演していたドラマ「太陽にほえろ!」への出演が短くなってしまうという影響が出ました。
必殺シリーズの秀のほうが人気だったのでしょうか。
端正な顔立ちからアイドルのような人気だった三田村邦彦さんですが、もちろん演技力も素晴らしいのです。
年を重ねるにつれて、演技力を高く評価されるようになっていきました。
三田村邦彦さんは、橋田壽賀子さん脚本の「渡る世間は鬼ばかり」にレギュラー出演していました。
橋田壽賀子さんといえば、脚本の台詞の多さや、台詞を変えること・アドリブなどを許さないことで有名です。
「てにをは」を間違えることすら許されないのだとか。
三田村邦彦さんはそんな厳しい橋田壽賀子さんのドラマに長年出演し続けたたのです。
高い演技力がなければ、難しかったことでしょう。