俳優の高岡蒼甫(たかおか そうすけ)さんは、最近テレビで見ることが少なくなりました。
一体どうしているのでしょうね。
高岡蒼甫さんは宮崎あおいさんと結婚をしていたそうですが、離婚をしたようです。
どうして、離婚をしたのかという理由について調べてみました。
目次
高岡蒼甫は現在、事務所なし
映画「バトル・ロワイアル」やドラマ「ROOKIES」に出演していた高岡蒼甫さんは、芸能界入りのキッカケがスカウトでした。
高岡蒼甫さんは、高校に入学をしてすぐに中退をしたそうです。
高校を中退した後は、1か月間ほどアメリカでホームスティをしています。
帰国をした後は東京で一人暮らしをして、定時制の高校に入学をしています。
仕事は友人の紹介で読者モデルとラーメン屋をしていたそうです。
また、住み込みでアルバイトの掛け持ちをしていたそうなので、結構大変そうな気がしますね。
こうしたことがテレビ番組で紹介され、芸能関係者が見てスカウトされたのが始まりだったのです。
1999年に放送されたドラマ「天国のKiss」で俳優デビューをして、翌年に約6000人から選ばれて映画「バトル・ロワイアル」に出演もしています。
さらに、映画「バトル・ロワイアル」の主要人物で杉村弘樹役を演じ、名前が広く知れ渡るようになりました。
2004年に映画「紀雄の部屋」で初めての主演を務め、2005年の映画「パッチギ!」ではヒロインの兄役を演じています。
高崎映画祭の最優秀新人俳優賞を受賞したりして、演技力も注目を集めるようになったのです。
高岡蒼甫さんの演技に関しては、蜷川幸雄さんや宮本亜門さんも認めるくらいの実力です。
2010年では舞台「ヘンリー六世」の主要人物リチャード役を演じています。
宮本亜門さんは高岡蒼甫さんの演技を見て直々に、2011年に「金閣寺」の柏木役に高岡蒼甫さんを指名しました。
宮本亜門さんは、「重要な役なので演技力のある人に演じてほしい」と考えていたようです。
そこで、演技力の高い高岡蒼甫さんがリチャード役を演じているのを見て、オファーをしたのだそうです。
日本国内だけではなく、世界的にも有名な演出家である蜷川幸雄さんと宮本亜門さんですが、その二人の舞台で主要人物を演じるというのは演技力が高いという証拠なのでしょう。
高岡蒼甫さんは人気と実力を兼ね備えている、イケメン俳優としてドラマや映画などや舞台やコマーシャルなどで大忙しだったようです。
2007年6月15日に高岡蒼甫さんは長く交際をしていた、宮崎あおいさんと結婚をしたということも大きな話題を呼んでいました。
このように、幸せと成功を絵に描いたように、順調な毎日を過ごしていました。
しかし、意外なことに所属事務所を何度も移籍したり、芸名も何度も変更したりしています。
デビューしたころに所属していた事務所は「フライングボックス」ですが、その後に移籍した事務所は「スターダストプロモーション」、「NOWHERE」、「S.Tree」、「ジャパン・ミュージックエンターテインメント」と転々と事務所を変えてますね。
最終的には、フリーとなっています。
芸能人というのは同じ事務所に長く所属を続けるのが普通ですが、多くても2回までの移籍でしょう。
高岡蒼甫さんのように、何度も事務所を移籍するのは異例と言えます。
高岡蒼甫さんが仕事に集中できる環境の事務所を追い求め、転々としていたのかもしれません。
結果的に、フリーという結論に至ったのでしょう。
高岡蒼甫はフリーとなった事で仕事に影響
芸能界は事務所の力が仕事に影響を及ぼすことが多く、特に新人の場合は事務所によって大きな影響を及ぼすこともあります。
フリーになった芸能人でも、事務所から独立をして表舞台から姿を消したという人も多いです。
コメントでは「円満退社」ということになっていますが、実際は円満ではなかった可能性があります。
そうはいっても、事務所から離れて独立をして順調に活動をしている俳優は、満島ひかりさんや西島秀俊さん、本木雅弘さんなどがいますね。
高岡蒼甫さんは事務所を退社してフリーになったことによって、仕事に支障はないのでしょうか。
数年ほど高岡蒼甫さんの姿をテレビで見ていないのですが、ドラマや映画などやコマーシャルにたまに出演をしているので全く仕事がないというわけではないようです。
フリーになっても仕事があるというのは、高岡蒼甫さんの人気と実力があったからだといえます。
高岡蒼甫は改名が多い
高岡蒼甫さんは事務所を何度も移籍していますし、芸名も何度も変更をしています。
最初に名乗っていた芸名は「高岡蒼佑」でした。
2006年2月に所属していたフライングボックスからスターダストプロモーションに移籍したときは、「高岡蒼甫」に芸名を変更しています。
ドラマ「ROOKIES」で大人気だったときに、名乗っていた芸名が「高岡蒼甫」です。
大人気だったころの芸名が「高岡蒼甫」なので、最も浸透している芸名だといえます。
2011年に「高岡蒼佑」に戻していますが、2013年に「高岡奏輔」に改名しています。
さらに、再び「高岡蒼佑」に改名して、また「高岡蒼佑」に戻して活動をしていました。
ただ、改名をするにしても漢字だけで、「たかおかそうすけ」といった読み方については同じですね。
どうして、高岡蒼甫さんは何度も芸名を変えているのかは、たんに「心機一転」で変えているのかもしれません。
とはいえ、同じ名前を何度も変えたり戻したりしているので、事務所との関係により芸名が使えたり使えなかったりしたのかもしれませんね。
事務所を移籍することで芸名を変えないといけなくなり、高岡蒼甫さんは仕方なく改名を繰り返した可能性も考えられます。
高岡蒼甫の転機にはいつも韓国が
2005年に公開された映画「パッチギ!」で、高岡蒼甫さんは高崎映画祭最優秀新人俳優賞を受賞しました。
この時に演じていたのは、李安成という在日韓国人の役だったのです。
李安成を演じたことで高岡蒼甫さんは、転機が訪れます。
その後に、演技派俳優として、いろいろな作品に出演することになります。
高岡蒼甫さんは長く交際をしていた宮崎あおいさんと結婚して、順調な人生を歩んでいたのです。
しかし、そんな順調な人生に、大きな狂いが生じてしまいます。
そのキッカケとなったのは、「韓国」でした。
なぜか、高岡蒼甫さんは2011年7月23日にフジテレビが過度な韓流推しをしていると、批判のコメントをツィッターに投稿したのです。
それと同時に、日本で活動をする、韓流タレントも批判していました。
当然、こうした投稿をキッカケに高岡蒼甫さんのツィッターは、大炎上してしまったのです。
2011年7月28日に所属事務所との契約は解消されてしまい、同じ年の12月28日には宮崎あおいさんと離婚をすることになりました。
このように、高岡蒼甫さんの人生において、転機が訪れるときは必ず韓国に関することがかかわっているのです。
はたして、これは偶然なのでしょうか。
高岡蒼甫さんは韓国と、どんな関係があるのか色々な考察と都市伝説で、語り継がれるかもしれませんね。