番組のナレーターを始め、ドラマや映画、声優まで広い分野で長く活躍する下條アトム(シモジョウ アトム)さん。
“世界ウルルン滞在記”でのオリジナリティ溢れるナレーションのイメージが強いですね。
番組も終了して、この頃見かけることがめっきり減ってしまいましたが元気にされているのでしょうか。
今回は、下條アトムさんの親御さんや病気に関する話、そして最近の生活についてお話します。
目次
下條アトムの父は有名人?実はあの俳優!
下條アトム、というお名前は姓名ともになかなか耳にしない珍しいお名前です。
いったいどこに由来があるのでしょうか。
一見芸名と思われるこのお名前、実は本名なのです…!
名字に”條”という漢字を用いていることが多いですが、どうやら正しい表記は”絛”のようです。
なんともややこしい…。
アトム、に関しては手塚治虫さんの有名作”鉄腕アトム”から取っているのかといわれることが多いですが、答えはNO。
実は深い由来があるのです。
下條アトムさんのお父さんは、戦後すぐに生まれた赤ちゃんの名づけに頭を抱え、このように思いました。
“近い未来、アメリカに倣って日本も名前・名字という表記になるだろう”と。
それが実現すれば、あいうえお順にしたとき頭にくるのはAですね。
加えて、”原子力は戦争でなく、平和のために使うものだ”と考えました。
そこから、”原子”という意味を持つ英語の”アトム”というお名前がつけられました。
鉄腕アトムが始まったのは下條アトムさんが生まれたあとのことなので、このエピソードには信憑性がありそうですね。
…と、ここまで”お父さん”と表記しましたが、下條アトムさんの父、実はあの有名俳優、下條正巳さんなのです!
下條正巳さんは、戦後頃から新劇での舞台俳優として人気を博しました。
名作映画”男はつらいよ”シリーズにて、三代目のおいちゃん役(主人公である寅さんの叔父で、葛飾区柴又の団子屋主人役)を務めた名俳優です。
下條正巳さんはデビュー当時から役者に命を懸けており、映画の名脇役として映画界を支えていました。
そのほか、北野武さん監督の映画”教祖誕生”に出演したことも印象的でした。
残念ながら、2014年に膵臓がんでお亡くなりになっています。
息子の下條アトムさんは、子供のころお父さんの楽屋へよく同伴していました。
俳優が化粧に使う油性のおしろいの独特の香りを含め、楽屋での異次元に魅力を感じて舞台の世界へ興味を持ち始めました。
その夢は絶えることなく膨らみ、父と同じ世界へ足を踏み込んだのです。
そんな下條アトムさんに、普段放任主義の父が掛けた一言がとても心に残っているそうです。
“役者である前に、まずは人としてきちっと生きろ”。
役者としての顔だけでなく、一人の父親としてもしっかり役割を果たしていたことがわかりますね。
そんな下條正巳さんですが、寅さん出演の話があった際には”自分では役不足では”と一時期悩んでいたそうです。
しかし、その背中を後押ししたのが息子である下條アトムさんの存在だったとか。
親子関係がうまく相互作用し、2人とも良い方向へ向かったのですね。
“ウルルン滞在記”こうして生まれたナレーション!
下條アトムさんといえば、世界紀行ドキュメンタリー”世界ウルルン滞在記”でのナレーションが印象的。
“●●と●●が出会ったあ~~”というお決まりのフレーズは世間からウルルン口調とも言われ、現在でもマネをする人がいるんだとか。
…このフレーズ、番組開始当初はまだ生まれていなかったんですよ。
何度も放送するうちに、下條アトムさん自身が”がんばれ、がんばれ”とサポーター気分で喋るうちに、生まれた口調だったようです。
確かに、放送だけを見れば美しい滞在記でしたが、編集前だと厳しいシーンもあったのかもしれませんね。
あれほどまでの気持ちがこもったナレーションになるのもうなずけます。
以上、ウルルン口調の誕生秘話でした。
下條アトム最近はどうしている?病気になった話は本当?
下條アトムさんは現在でも細々と映画やドラマへ出演しています。
しかしバラエティー番組等にゲスト出演することはまずないので、視聴者がプライベートを知る機会はなかなかないようです。
世界ウルルン滞在記は、2007年に番組改編がなされ、そのタイミングでナレーターを降板しました。
ちなみに後任は松尾スズキさんが務めましたね。
一時病気になったのではないかとの噂もありましたが、どうやら本当ではありません。
しかし若い頃に一度バセドウ病を患っているので、その話が大きくなってしまった可能性が考えられます。
“仕事がお薬、一番の健康法”だと話す下條アトムさん。
現在もナレーターを始め、俳優や声優として元気に活躍されています。
これからも素晴らしい演技で多くの人を魅了してほしいものです。
たまにはバラエティーでの違う一面も見てみたいですね。