栗塚旭が独身の理由は?家族が俳優になった原因?喫茶店経営?

時代劇専門チャンネルのマスコット的存在栗塚旭さん

時代が変わってもその演技力と魅力が衰える事はありません。

今回は栗塚旭さんのプライベートについてみていきましょう。

家族は?結婚しているの?そんな疑問に迫っていきます。

栗塚旭さんは結婚しておらず独身?

https://twitter.com/rera_juteh/status/1340748810247696386

「新選組血風録」や「燃えよ剣」での土方歳三役で知られる栗塚旭さん

新選組の土方歳三を演じていることもあって、時代劇に興味がなかった若い世代からも2009年にCSの時代劇専門チャンネルでの再放送をきっかけに大反響を得ました。

時代劇専門チャンネルのホームページには栗塚旭さん専用の掲示板が設置され新聞でも再ブームが取り上げられたほどです。

現在でもその演技力が話題となるほどの実力者栗塚旭さんが芸能界に入る切っ掛けとなったのは高校の放送部に入ったことでした。

京都府立洛北高校に入学し放送部での活動にいそしんでいた栗塚さんは部の新入生の恒例行事として『正しい日本語講座』に参加しました。

その時に講師を務めていた女優の毛利菊枝さんと出会います。

毛利菊枝さんは戦後、映画やテレビドラマにも多く出演し、老け役で活躍した女優でのちに京都で毛利菊枝演劇研究所、のちの「劇団くるみ座」を発足させた方です。

この出会いがきっかけとなり、栗塚さんは高校卒業後、劇団くるみ座の門をたたくことになります。

高校卒業後浪人生となった栗塚さんは気分転換に訪れた毛利さんが主催する劇団くるみ座の稽古場へ見学に行きました。

もともと演劇が好きだった栗塚さんは「イヤイヤ机に向かっているより青春を賭けるのはこっちだ」と演劇にひかれ、くるみ座付属の「毛利菊枝演劇研究所」に入所しました。

その後、研修生を経て1958年に劇団くるみ座の正式な劇団員となったのです。

入団当初は演技よりも広告モデルの仕事が多く、大阪そごうデパートやクラボウのワイシャツなどの新聞広告・週刊誌広告、髙島屋のテレビCMにも出演、KHKラジオ(現・KBS京都ラジオ)『藤井大丸テレフォンリクエスト』のディスクジョッキーを2年間ほど担当しました。

しかし、そのモデル活動にいそしんでいた時も栗塚さんは慢心せず、自ら毛利菊枝さんの付き人を志願して映画やテレビドラマのさまざまな撮影現場に足を踏み入れていきました。

この時の経験があったからこそ、いざ自分がカメラの前に立っても緊張することがなかったと語っています。

1964年には映画「忍びの者」で明智光秀役に抜擢、1965年の「新選組血風録」で主役の土方歳三を演じ一目を置かれ、時代劇では欠かすことが出来ない名優として名を知られるようになりました。

そんな栗塚旭さんは結婚はしておらず独身を貫いています。

栗塚旭さんは以前、インタビューで結婚について尋ねられると「土方さんに殉じています」とコメントしています。

土方歳三とは17才の時奉公で女性がらみのトラブルを起こしてクビになったという話や、子ども時代は「バラガキ」というあだ名を頂戴するほど元気いっぱいだったという話、天然理心流という古武道の流派の門をたたき新選組に入所し数々の悪党を懲らしめたという話がある人物です。

許婚もおりとてもイケメンでモテた土方歳三は子供はいながらも結婚はしていなかったそうです。

その理由とは「己の名を上げたい」からだそうで、世間に己の名を広めるまで待っていてほしいという思いや相手を傷つけないための言い訳とも言われています。

半分は冗談だとは思いますが、栗塚さんも土方歳三の生きざまを演じた以上独身を貫くということなのでしょう。

栗塚旭さんは家族のおかげで俳優の道に?

栗塚さんが演劇の門をたたくきっかけになったのは毛利菊枝さんだけではなく、ご家族の存在もそのきっかけとなっています。

栗塚さんの高校は先も述べた通り京都府立洛北高校で、名前の通り京都府にある学校なのですが、栗塚さんの出身は北海道札幌市です。

中学校までは地元の学校に通っていた栗塚旭さんがなぜ京都の高校に通っていたのか、その理由は両親との死別があったからです。

幼少期に父親と中学校を卒業する頃に母とも死別を経験した栗塚さんは教師をしていた兄夫婦を頼り京都へ引っ越しています。

母を亡くした悲しみが大きかった反面、幼少期から映画好きだったこともあり「日本のハリウッド」と名高い京都に住める事を嬉しく思っていたそうです。

京都府へ引っ越したため、その後芸能界の門をたたくきっかけとなった毛利菊枝さんと出会うことができました。

また、栗塚さんが演じた土方歳三も土方が誕生する3か月前に父を、6歳の時に母と死別し兄夫婦に育てられたという過去を持っています。

このような奇妙な偶然が重なった結果、時代劇に欠かせない存在が生まれたのですね。

栗塚旭さんは喫茶店を経営していた

栗塚旭さんは1972年に京都府京都市左京区にある自宅の敷地内で喫茶店「若王子」を開店しました。

入口には「哲学の道憩いの喫茶店若王子」という看板があり、レンガ造りのお洒落な階段のある店だったそうです。

実際に経営していたのは栗塚さんの義姉でしたが栗塚旭さんがお店に顔を出し飲み物を入れてくれたり席まで持ってきてくれたりする事もあったそうです。

ファンなら一度訪れてみたい場所ですが、残念ながらこの喫茶店はすでに閉店しています。

店の経営を手伝っていた、義母と義姉の死去がその理由だそうです。

閉店後しばらくはこの場所に住んでいたそうですが、台風の被害に遭いレンガが崩れてしまったため、この場所からも引っ越してしまい、今はもう建物だけだひっそりと残っている状態だそうです。

少し前は猫で賑わっていたそうですが、猫の姿も最近は見ることができなかったとか。

とても人気な喫茶店だったそうなので、一度足を運んでみたかったですね。

栗塚旭さんの現在の活動

2019年にも2本の映画に出演している栗塚旭さん

なぜかどちらとも僧侶の役を演じていますが、ストーリーも監督も違う方なのでおそらく何かの偶然でしょう。

80歳を過ぎた現在、栗塚さんにはさらなる目標があるらしく、その一つ目がCDを出すことだそうです。

曰く今の新曲は若い人向けの曲ばかりで栗塚さん世代の曲はないので、だれにでも口ずさみやすい曲を作っているそうです。

80歳を過ぎてCDを出すというのは夢があります。

そして、もう一つの目標は「栗塚旭記念館」をオープンすることだそうです。

以前の台風で喫茶店若王子跡地からの転居を余儀なくされ、ビルに引っ越してしまった栗塚さんですが、仕切りがない作りであったことを利用し、1、2階は『栗塚旭記念館』に、鏡張りの3階は稽古場にするように計画しているようです。

栗塚さんのファンの遺族からも記念館の中心になるくらい、貴重な資料を送られているそうで、その選定作業に四苦八苦しているそうです。

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