細川俊之の妻は元女優?息子はどうなった?死因は?木の実ナナやシーマンとの関係

クールな二枚目から悪役まで、幅広い役柄を演じることができる細川俊之(ほそかわ としゆき)さんは、低音の美声を持つイケボ俳優としても知られ、劇場版アニメ「あしたのジョー」の力石徹の声優としても有名です。

2004年からは大阪芸術大学の舞台芸術学科演出コースの教授に就任し、教育にも熱心なことで知られていました。

細川俊之さんのプロフィール

本名:同じ
生年月日:1940年12月15日
出生地:福岡県
身長:175cm
体重:67kg
血液型:B型
趣味:スキューバダイビング

細川俊之さんは、福岡県で生まれ山口県下関市で育ちました。

山口県立豊浦高校を卒業し、学習院大学に進学するため1959年に上京しています。

大学では演劇部に所属していました。

ですが、1961年に大学を中退し、故郷の下関に一度戻っています。

その後再び上京し、俳優座の試験に合格し、第13生として俳優座養成所に入所しています。

そして、1964年に俳優座養成所を卒業します。

その後は、文学座の研究生となりました。

その後1971年まで文学座に在籍し、若手の二枚目俳優として人気と実力を兼ね備えるようになりました。

同じころ文学座に在籍していた女優の小川真由美さん細川俊之さんは出会い、舞台「シラノ・ド・ベルジュラック」で共演したことがきっかけで交際に発展し、結婚します。

2人の間には娘が1人産まれましたが、1973年に離婚しています。

離婚の原因は分かりませんが、お子さんは母親の小川真由美さんが引き取っています。

細川俊之さんはその翌年、1974年に宝塚歌劇団出身の藤本典江さんと再婚しました。

再婚後の細川俊之さんはプライベートを殆ど公表していません。

前妻と娘の事を気遣っているのかもしれませんね。

細川俊之さんの娘

前妻の小川真由美さんとの間には、娘が1人いると公表されています。

ですが、藤本典江さんと再婚した後は私生活を公表していない為、子供がいるかどうかは定かではありません。

小川真由美さんとの間の娘の名前は小川雅代さんと言います。

彼女が2歳の時に両親が別居し、離婚しています。

小川雅代さんは、高校中退後、母親の付き人を経験し、16歳で舞台デビューをして芸能界の道へ進みました。

その後、モデル事務所に所属し、「MAH」(マー)という名前でモデルや女優として活動しています。

バンド活動も初めていますが、小川雅代さんの知名度は低いです。

ですが、2012年に「母・小川真由美との40年戦争 ポイズン・ママ」という書籍を出版し、大きな話題となります。

母の小川真由美さんは、「杉村春子の後継者」と呼ばれるほどの女優でした。

若いころは、妖艶で「魔性の女」と言われていたそうです。

非常に忙しかった為、子育てに関してはネグレクトに近い状態で、小川雅代さんは幼少期、餓死寸前になった事もあったそうです。

小川雅代さんは20歳の頃に家出をしています。

ですが、母の過干渉により鬱病とパニック障害を発症しています。

その為、通院した心療内科の医師と弁護士から「母親に会ってはいけない」と言われたそうです。

小川雅代さんの告白本で分かった有名女優の驚きの私生活に、世間では大きな衝撃が走りました。

細川俊之さんはイケボ

細川俊之さんがパーソナリティを務めたラジオ番組「ワールド・オブ・エレガンス」は17年5カ月続いた番組でした。

また、細川俊之さんは人気育成シミュレーションゲームの「シーマン」のナビゲーターを担当していました。

シングルやアルバム、朗読盤を出すなど、細川俊之さんの美声は大人気でした。

細川俊之さんと木の実ナナさんの関係

細川俊之さんの代表作の1つであるミュージカルの「ショーガール」は、1974年に公演が始まり、15年も公演が続きました。

公演総数は547回、総動員数は60万人を超える人気ミュージカルです。

このミュージカルで細川俊之さんのパートナーを15年間務めていたのは木の実ナナさんです。

息ぴったりで演技する2人の様子を見て、交際を疑う声もありました。

ですが、細川俊之さんと木の実ナナさんは公演以外では全く交流をしていませんでした。

それは、「舞台での新鮮な気持ちを保つため」という理由からなんだそうです。

プライベートで親交が無かったとはいえ、舞台で手を握ると互いの体調が分かるという信頼関係は結ばれていました。

そんな2人が演じていたからこそ、「ショーガール」はマンネリ化もせず、長期に渡る大ヒット作になったのだと思います。

細川俊之さんの死因

細川俊之さんの晩年は闘病生活が続きました。

1994年、細川俊之さんはけいれん発作重積症により舞台「ラ・カージュ・オ・フォール」を降板しています。

翌年1995年には、糖尿病のため入院を余儀なくされ、映画「ゴジラVSデストロイア」を降板しています。

さらに同年、脳出血でも入院しています。

その後も体調不良が続いていた為、芸能界の仕事をセーブしています。

そして、2011年1月12日に細川俊之さんは、自宅の居間で転倒し頭を強く打ち病院に緊急搬送されますが、14日に急性硬膜下血腫の為亡くなりました。

細川俊之さんは、生前から大学病院への献体を希望していたので、通夜と葬儀はありませんでした。

彼の遺骨が奥さんの元に戻ったのは、亡くなってから1年8か月後の2012年9月11日です。

納骨は、2日後の9月13日でした。彼の墓前には「ショーガール」で着用していたシルクハットが置かれたそうです。

ご冥福をお祈りいたします。

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